曹洞宗 龍谷山 東雲寺

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浦賀奉行と妻のお墓

 東雲寺の本堂に向かって左側にお位牌堂がありますが、その横のゆるやかな坂道を10メートルほど上ったところに、江戸時代末の1853年(嘉永6年)4月から8ヵ月間ほど、浦賀奉行を務めた井戸弘道とその妻のお墓と顕彰碑とがあります。幕末の浦賀と言えば、「ペリーの黒船」を思い出します。

 そうです。まさにこの1853年(嘉永6年)6月に、ペリー提督が率いる4隻の黒船が、浦賀港(神奈川県横須賀市)に来航しました。ペリーは、アメリカのフィルモア大統領の、日本に鎖国をやめて国を開くようにという「国書」を持って来ており、これを受け取った日本側の一人が浦賀奉行・井戸弘道でした。このとき、弘道たちは翌年まで「回答」を猶予するように求め、ペリーたちに退去するよう伝えました。するとペリーの艦隊はいったん引き返すのですが、翌年1月に再び7隻で来航、3月には「日米和親条約」が結ばれることになります。

 この歴史的大事件に登場する人物、井戸弘道は、町田市成瀬や小川などを知行する旗本で、その子の信八は成瀬で育てられたといいます。顕彰碑の施主・堀江さんのお宅には井戸家の米蔵がありました。

 幕府が倒れ明治時代になると、武士たちの多くが生活に困窮。弘道の妻子も旧知行地に身を寄せ、そうした中の1869年(明治2年)3月に、弘道夫人は亡くなり、東雲寺墓地に埋葬されました。2000年3月、町田市教育委員会の立会のもと墓地を発掘すると、大甕に入った弘道夫人のご遺骨が見つかりました(現在、大甕はお位牌堂玄関に展示)。

知行=将軍から与えられた所領を支配すること。
旗本=将軍直属で直接将軍に目通りができた知行高1万石未満の家臣。



【墓石右側面】
   遠山左衛門藤原景壽女
   井戸岩見守藤原弘道室

   安政二乙卯(一八五五)年七月五日
英巌院殿石州大守泰熈弘道日忠大居士
英珠院殿泰皓妙操日禅大姉
   明治二己巳(一八六九)年三月三日